管理方針について

karing.jpの管理下にあるすべてに対し、法令、法規および公序良俗に反する行為を禁じます。 これに反した場合は、管理人としての権利義務を遅滞なく行使、履行します。これは管理人の 責務であり、管理人の権利義務はこれを放棄できないものとします。また、何人でもその権利 義務の遅滞なき行使、履行を管理人に対し要求できるものとします。

karing.jpに由来しない一部の画像、テキストを除き、http://www.karing.jp/直下(いわゆるDocumentRoot) のwebページは、原始的な著作物性の不存在を想定した上につくられています。よってkaring.jpでは、 現時点において、これらは著作権法による保護を有しないと認識しています。

http://www.karing.jp/~以下のコンテンツは、各ホームページの管理人の管理に属します。 各管理人は法令、法規を遵守し、公序良俗に反する行為を排除する責務を負います。各管理人は その権利義務の行使、履行を遅滞なく行うことを要し、かつ、その権利義務は放棄できないもの とします。また、何人でもその管理人に対し、その権利義務の遅滞なき行使、履行を要求できる ものとし、各管理人はそれを要求する手段を提供する義務を負うものとします。

karing.jpの管理下に生じたすべての法律行為は、可能なかぎり日本法に準拠して処理されます。


karing.jp管理人 よしのぶ
e-mail:root@rita.karing.jp

  2003年2月1日


上記が、karing.jp全体の管理方針ですが、この『karing.jp管理人室』に関しては、以下のようになります。

karing.jp管理人室に関する諸注意

このホームページには、リンクに関する制限はありません。


著作権法上の例外を除き、このホームページの一部、または全部を無断で複製、 転載することを禁じます。ただし、個別に意思表示(黙示の意思表示を含む) されているものに関しては、その意思を優先します。


よしのぶ
e-mail:yoshino@rita.karing.jp
 
2003年2月1日


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こんな感じでしょうか。意思表示の部分は、よくわからないかもしれませんが、具体的な例と しては、GPLです。GPLから派生したものは、その権利関係が明示されていなくとも当然GPLで ある、ということです。

また、設定ファイルなどには、通常、原始的に著作権は存在しません。厳密には、場合にもよる のでしょうが、少なくともこのホームページ上にある個別の設定ファイルには、著作物性はない と考えています。これは、著作権が放棄されているという意味ではなく、はじめから、著作権の 対象ではないということです。もっとも、私が個人的に著作物性に疑問を持つものに対しても、 堂々と著作権を主張している人もいるようなので、もし、そういう人と著作権の有無について 問題が生じた場合、最終的には、裁判により決する、ということになるでしょう。

著作権に関して、そこまで主張できるのか、もしくは、そこまで主張すべきなのか?と思ってしまう 文面に出会うことがしばしばありますが、その『脅し』、『ハッタリ』の有効性は別として、現在 の複製技術から考えて、権利者が自己防衛の本能を働かせてしまうことは十分に理解できること です。しかし、そのことが著作権法が持つ高い理想をゆがめてしまっていることもまた事実であり、 残念な気もします。


一応、こうして著作権に関する注意を書いてみたわけですが、これはとくに自己の権利を守るため というわけではありません。こういうのが明示されていないと、逆に使いにくいと感じる場合も 世の中にはあったりなんかして、そういう場合を想定したものです。ですので、そういうことを 気にしない人は、とくに何も気にすることはないでしょう。仮に、誰かがこのホームページの著作権 を侵害したとしても、受認の限度を越えるような権利侵害など、おそらく不可能だと思われます。 もし、このホームページに関し私になんらかの不利益をもたらす行為がなされるとすれば、それは 著作権の侵害よりも名誉棄損によるものの方がはるかに現実的でしょう。

ホントは、こういう著作権に関するnoticeとかは偉そうなので、あまり書きたくないのですが (書いても法的な効力などないし…)、すでに慣習として定着しているようなので従いました。

しかしながら、いつも気になることがあります。それは、これらのnoticeのなかには、『法律に より禁じられています』という表現を使っているものがあることです。少なくとも、著作権法は、 『禁じる権利』を与えてはいますが、禁じてはいません。禁じるか禁じないかは、その権利者の 意思によるのです。つまり著作権法は、表現者の自立した意思を尊重しているのです。自立した 意思、これこそ表現の表現たる所以ではないでしょうか。この自立した意思を放棄し、『法律に より…』などと書くその精神構造が私には理解できません。たんなる無知、もしくは婉曲表現 なのかも知れませんが、そこから垣間見える問題は、「たんなる無知、婉曲表現」ではすまされ ない気がするのは私だけでしょうか?ことは、「刑法に罰則が規定されている=刑法により禁じ られている」という一般論とは異なる次元の問題に思われます。


で、次は、こういうホームページにお約束の『自己責任で』というやつは、なぜ、karing管理人室では 主張されていないかという問題です。これに関しては、一方的主張による免責特約の法的有効性および 社会通念上要求される注意喚起義務についての議論になるわけですが、そんな議論はしてられないので 簡単に。

つまり、単純に言えば、いくら『自己責任で』と主張したって責任は放棄できないからです。放棄 できないのにもかかわらず、『自己責任で』などとあたかも責任がないような表現をしたならば、 それは嘘をついたことになるからです。そもそも、ここで問題になっている『責任』などというもの は事実上ゼロに等しいので、故意もしくは重大な過失がなければ、法的に責任を問われるなどという ことはないでしょうし…。いや、だったら最初から責任ウンヌンを議論することだって無意味かも しれないし…。

まず免責という側面から考えてみましたが、おそらく、免責という意味で『自己責任で』という主張 をしている人は小数派でしょう。多くの人は注意喚起のために言ってくれてるのだと思います。 やさしいこころづかいにありがたくもありますが、ナことはわかってるヨ、余計なお世話だ…と思う こともあります…。ひとのやさしさがわからないヤツですねぇ。

というわけで、あってもなくてもいいのなら削ってしまえといったところです。


さて、残りはリンクについての一言です。リンクに関しては日本の現行法上、これになんらかの権利を 付与する明示的成文法は現存しないと思われます。もちろん、他人の著作物をまるで自己または第三者の 著作物のようにリンクをはるのは著作権上の問題はあるでしょうが、それはまた別の問題。

WWW、インターネット成立の歴史的過程を考えれば、リンクが自由に行われるべきことは想像にかたく ないことですし、また、その方が社会的に有益であることは否定しようがないでしょう。リンクになんらか の制限を設けたとして、悪意を持つ人に対し、その実効性があるか否か、はなはなだ疑わしいものです。 とは言え、個人的には「リンクに制限を設けたがる人達」に対して、何か意見する気にはなりません。

(非論理的な人にかかわって噛みつかれたら損だ…という本音はさておき)現在、インターネットはその 規模をとてつもなく大きなものにしてしまいました。かつて、インターネットはなんらかの価値を共有する 人々の集合体と言えるものでしたが、現在では、もはや価値観の共有を想定しうる規模をはるかに越えて 巨大化してしまいました。こうなってしまえば、インターネット上の常識は日常の常識へと接近せざるを えないでしょう。

日常的な常識…、きわめて難解な概念ですが、リンクに関して言えば、「自己決定権の尊重」ということ になるのでしょうか…。つまり、「公共の福祉に反しない限り、合理的自己従属性が認められるものに対して は排他的権利を主張し得る」と我々は『常識』として理解しているということです。言葉が硬すぎましたが、 単純に言えば、「他人に迷惑さえかけなければ、自分のものをどうしようと自分の勝手だ、もしくは他人の 勝手にはさせない…」という主張は一つの常識だろうということです。ですので、自分のホームページに 対するリンクに関し、なんらかの制限を設けたいと思う人達を頭から否定するつもりはありません。

法的には、不特定多数の人にあまねく作用する排他的権利は、法律で定められる必要があるので、その ような法律のないリンクは、法的にはその排他的権利を主張し得ません。ですので、リンクに関する制限 などと言うものは言わば「お願い」に過ぎないのです。もちろん、普通の常識的な人は、法的にどうであれ、 よほど非合理でなければそれらの主張にこころよくつきあってくれると思われますが、単なる「お願い」を まるで当然の権利、特権的権利のように高圧的に主張する人がたまにいて、正直、ムッ(と言うか、クスッ) としてしまうときがあります…。

リンクに関する排他的権利を規定した法律は現状、日本には存在しませんが、場合によっては、例外的に 常識、慣習により排他的権利を主張し得ることがあります。現状、リンクがこの場合に当たるとは思えま せんが、今後、慣習化してなんらかの法的効力を生じることは考えられなくもないかもしれません。もっとも、 その場合でも「リンクを制限する権利」というのではなく、「リンクは自由」という方向性だと思われます が…。なんにせよ、リンクのために法整備する必要性は個人的にはまったく感じられません。

ここまで、インターネットの有益性という側面から基本的なリンクの自由と自己決定権の視点からリンクに 制限を設けることの(非)合理性とを論じてきました。単純には、そんなところでいいと思うのですが、 一つ気になることが残っています。それはインターネットの匿名性、公共性です。検索に引っかかるような ページがリンクに関する制限を設けることはまったく無意味だと思われますが、特定の人にしか知られたく ないページというものも存在するでしょうし、その場合、リンクの制限は重要な意味を持ちます。我々は インターネット上の匿名性、非公開性といったものをどの程度主張しうるのでしょうか。最近のIT関連の法 整備などを見ていると公共性の名の下に、インターネット上の自由が制限される方向にあります。理解でき ないわけではありませんが、危険を感じるのもまた事実です。

最後に老婆心ながら付記しておきます。繰り返し言ったようにリンクに関しては、なんら法的に制限される ということはありません。しかし、リンクをはって誰かに損害を与えた場合、「リンク」という方法は問われ なくとも、「損害を与えた」という結果を問われる可能性は十分にあります。現実にはそうありえることとは 思えませんが、誤解のないように。


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